SSブログ
AKB48 メンバー ブログトップ
前の10件 | -

AKB48 秋元 才加 プロフ [AKB48 メンバー]


芸能人になりたいという願望から、高校時代にいくつかオーディションを受けていた。

2006年

2月26日、『第二期AKB48追加メンバーオーディション』に合格。

2009年

6月から7月にかけて実施された『AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』では12位で、メディア選抜入りを果たした。
8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演において、2010年より新生チームKのキャプテンになることが発表され、同年3月12日に就任した。

2010年

5月から6月にかけて実施された『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』では17位で、シングル選抜入りを果たした。
7月10日・11日に開催された『AKB48 コンサート「サプライズはありません」』において、18thシングルのカップリング曲は新たに結成したチームピグ10組のうち、投票により1組を選ぶという旨が発表された。秋元は歌唱力を生かし、サリー秋元の名で「カムチャッカ渡り鳥慕情」をAKB48初の演歌で、単独ソロとして挑戦。8月9日の結果発表で、第5位となった[1]。
10月4日からフジテレビ森田一義アワー 笑っていいとも!』に月曜日レギュラーで出演することが発表された。
10月16日、一部で報じられた[1]、仕事仲間の男性(広井王子)を不用意に自宅へ宿泊させたことに関して責任を取るため「チームKキャプテンを辞任する」と『AKB48のオールナイトニッポン』出演の際に自ら発表した。

2011年

2月27日に開催された東京マラソンにランナーとして参加し、6時間53分53秒のタイムで完走した。さらに、ゴールした後に出演した、東京マラソン中継特別番組内では、秋元康から番組に宛てたメールが読み上げられ、その中でチームKキャプテンへの復帰が言い渡された[2]。その後、同日に開催されたチーム研究生の夜公演に、梅田・宮澤・増田と4人でゲスト出演。キャプテン復帰報告を行うとともに、前述の4人で新ユニット「DiVA」として、シングル「月の裏側」をリリースすることを発表。しかし、3月11日に発生した東日本大震災の影響により、シングルのリリースは4月27日から5月18日に延期された。
『笑っていいとも!』のレギュラー出演日は4月から水曜日に変更となった。

人物 [編集]

日本人の父と、フィリピン人の母の間に生まれたハーフ。本人は英会話が得意(英語の成績は5)だが、フィリピンの公用語の一つであるタガログ語は苦手。
愛称は「さやか」「さぁや」が主。倉持明日香からは「もっさん」と呼ばれている。また、ファンの間では、大島麻衣が命名した「オカロ(『才加』が『オカロ』と読めることに由来)」で呼ばれることもある。さらに「姉さん」、「兄貴」と呼ばれることもあるが(主に『AKB48のオールナイトニッポン』で呼ばれる)、本人は否定的。
小学校時代に児童会活動をしていた[3]。
千葉県の県立高校に通っていた[4]当時、スピーチコンテストに出て、落語を英語で喋った。
好きな歌手は、マイケル・ジャクソン、尾崎豊。最も好きな尾崎の楽曲は「Forget-me-not」[5]。また、『AKBINGO!』の企画「DANSO甲子園」ではマイケル・ジャクソンに扮したことがある。
筋肉が付きやすい体質[6]。合気道2段の持ち主で、『めちゃ×2イケてるッ!』では暴走した江頭2:50をローキックで一蹴する場面があった[7]。学生時代には、バスケットボール部と陸上部を掛け持ちしていたが、「長距離走は苦手」[8]。
マイケル・ジャクソン、尾崎豊、真矢みき、さくらまや、ヒツジ、ヤギ、SPEED、松浦亜弥のコンサートなどの物真似をレパートリーとして持っている。
高所恐怖症であり[9]、絶叫系アトラクションが苦手。『週刊AKB』の企画で東京ドームシティアトラクションズの「サンダードルフィン」および「タワーハッカー」に乗った際に叫びながら号泣した[10]。

AKB48関連 [編集]

キャッチフレーズは「強く、気高く、美しく」。
所属事務所が同じでメンバー内でも身長が高い宮澤佐江と合わせて「ツインタワー」という愛称で呼ばれ、行動を共にすることが多い。双方認める親友[11]。また、宮澤の母親ともメール友達[12]。
運動神経が良く、『週刊AKB』の運動会や球技大会企画などでは、ボールさばきが上手いことやロングシュートを放つことから、「AKB48の三井寿(『SLAM DUNK』の登場人物)」と言われている[13]。ドッジボールはやや苦手[14]。
「男前」な性格。メンバーは「カッコいい」と口を揃えて評する。『AKBINGO!』のドッキリ企画で大堀恵の携帯電話が熱々の鍋に水没した時に、真っ先に駆けつけ素手ですくい上げる[15]、他のメンバーによって放り出されたトカゲやウナギを救出するなど、数々のエピソードがある。一方、秋元自身は「可愛い」と言われたいと思っている[16]。「前向きに、ポジティブになれるから」という理由で「その日に人から褒められたことを手帳に書き込んでいる」など、乙女らしい一面も持つ[17]。
劇場公演で、隣で踊っていたメンバーに自分の拳が当たり、歯を折ってしまったことがある[18]。
英語を得意とするため、AKB48の日本国外公演において「大声ダイヤモンド」など英語バージョンの楽曲を歌う際にはメインボーカルを務める。また、『めちゃ×2イケてるッ!』の「抜き打ち期末テスト」企画に参加した際には、受験した5教科のテスト中、英語の点数が最も高かった。同企画では、国語や理科においても上位3名に入ったが、社会は苦手科目であるがゆえ、総合最下位となった重盛さと美の得点を下回る44点を記録、同教科では全参加者12人中最下位となった[4]。
『AKB48 NY公演 supported by スカパー!HD』参加のため、他15名のメンバーとともにニューヨークを訪れた際、『AKB48ネ申テレビ』の企画で「RIVER」のPVを現地クリエーター2名に依頼して作成するために、セントラル・パークで全16人の即興オーディションを行い、各クリエーターが自分が選びたいメンバーを指名する方式を取ったところ、2名とも秋元を1位指名したため、秋元のみクリエーターを逆指名をする形となった[19]。
長距離走が苦手であることは前記したが、2010年の騒動によるチームKキャプテン辞任以降「支えてくれた方々に一からリスタートで頑張る自分を見せたい」という決意で東京マラソン2011に参加を表明、準備期間約1か月、かつ多忙な仕事の合間を縫って週2回の自主トレを実施、100キロ以上も走り込んだ上でレースに臨んだ[20]結果、東京マラソンの制限時間7時間ギリギリの6時間53分53秒でゴールした[21]。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

AKB48 秋元 才加 [AKB48 メンバー]


来歴 [編集]芸能人になりたいという願望から、高校時代にいくつかオーディションを受けていた。

2006年

2月26日、『第二期AKB48追加メンバーオーディション』に合格。
2009年

6月から7月にかけて実施された『AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』では12位で、メディア選抜入りを果たした。
8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演にて、2010年より新生チームKのキャプテンになることが発表され、同年3月12日に就任した。
2010年
母さんに誓って、ガチです
5月から6月にかけて実施された『AKB48 17thシングル選抜総選挙では17位で、シングル選抜入りを果たした。
7月10日・11日に開催された『AKB48 コンサート「サプライズはありません」』にて、18thシングルのカップリング曲は新たに結成したチームピグ10組のうち、投票により1組を選ぶという旨が発表された。秋元は歌唱力を生かし、サリー秋元の名で「カムチャッカ渡り鳥慕情」をAKB48初の演歌で、単独ソロとして挑戦。8月9日の結果発表で、第5位となった[1]。
10月4日からフジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』に月曜日レギュラーで出演することが発表された。
10月16日、一部で報じられた[1]、仕事仲間の男性(広井王子)を不用意に自宅へ宿泊させたことに関して責任を取るため「チームKキャプテンを辞任する」と『AKB48のオールナイトニッポン』出演の際に自ら発表した。
2011年

2月27日に開催された東京マラソンにランナーとして参加し、6時間53分53秒のタイムで完走した。さらに、ゴールした後に出演した、東京マラソン中継特別番組内では、秋元康から番組に宛てたメールが読み上げられ、その中でチームKキャプテンへの復帰が言い渡された[2]。その後、同日に行われたチーム研究生の夜公演に、梅田・宮澤・増田と4人でゲスト出演。キャプテン復帰報告を行うと共に、前述の4人で新ユニット「DiVA」として、新曲「月の裏側」でデビューすることを発表。しかし、3月11日に発生した東日本大震災の影響により、デビューは4月27日から5月18日に延期された。また、自身がレギュラーを務める『笑っていいとも!』は4月から水曜日レギュラーとして出演する。
人物 [編集]日本人の父と、フィリピン人の母の間に生まれたハーフ。本人は英会話が得意(英語の成績は5)だが、フィリピンの公用語の一つであるタガログ語は苦手。
愛称は「さやか」「さぁや」が主。倉持明日香からは「もっさん」と呼ばれている。また、ファンの間では、大島麻衣が命名した「オカロ(『才加』が『オカロ』と読めることに由来)」で呼ばれることもある。さらに「姉さん」、「兄貴」と呼ばれることもあるが(主に『AKB48のオールナイトニッポン』で呼ばれる)、本人は否定的。
小学校時代に児童会活動をしていた[3]。
千葉県の県立高校に通っていた[4]当時、スピーチコンテストに出て、落語を英語で喋った。
好きな歌手は、マイケル・ジャクソン、尾崎豊。尾崎の一番好きな曲は「Forget-me-not」[5]。また、『AKBINGO!』の企画「DANSO甲子園」ではマイケル・ジャクソンに扮したことがある。
筋肉が付きやすい体質で、[6]。合気道2段の持ち主で、『めちゃ×2イケてるッ!』では暴走した江頭2:50をローキックで一蹴する場面があった[7]。学生時代には、バスケットボール部と陸上部を掛け持ちしていたが、「長距離走は苦手」[8]。
マイケル・ジャクソン、尾崎豊、真矢みき、さくらまや、ヒツジ、ヤギ、SPEED、松浦亜弥のコンサートなどの物真似をレパートリーとして持っている。
高所恐怖症であり[9]、絶叫系アトラクションが苦手。『週刊AKB』の企画で東京ドームシティアトラクションズの「サンダードルフィン」および「タワーハッカー」に乗った際に叫びながら号泣した[10]。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

AKB48 松原 夏海 プロフ [AKB48 メンバー]


2006年

2月26日、『第二期AKB48追加メンバーオーディション』に合格。
4月1日からAKB48劇場の公演に出演。
2009年

6月から7月にかけて実施された『AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』では30位で、アンダーガールズ入りを果たした。
8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演において、同年10月よりチームAに異動することが発表され、2010年7月27日にチームAに異動した。この結果、2期生で唯一のチームA所属となる。
2010年

3月25日に開催された『AKB48 満席祭り希望 賛否両論』の夜公演にて、プロダクション尾木への移籍打診が発表され、5月17日に移籍。
5月から6月にかけて実施された『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』では39位で、アンダーガールズ入りを果たした。
2011年

4月22日、AKB48劇場の公演を初めて休演した。これによって、連続記録は608回(Gロッソ公演含む)で途絶えた。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

AKB48 仲谷 明香 プロフ [AKB48 メンバー]


2006年12月3日、『第三期AKB48追加メンバーオーディション』に合格(応募総数12,828名で最終合格者20名に選ばれる)。
2007年4月8日から2010年4月16日までAKB48劇場で旧チームBの一員として公演を行う。
2009年8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演において、同年10月よりチームAに異動することが発表され、2010年7月27日にチームAに異動した。
2009年12月7日にそれまでの所属事務所・AKSからMousaに中田ちさととともに移籍した。
人物

かなり温厚な性格らしく、頭にきたことはあるが、今までに怒ったことは一度もないとされる。『AKBINGO!』[1]では「怒ったことが一度もない、年中笑顔の菩薩系アイドル」と紹介された。
趣味は、アニメを見ること、ニコニコ動画を見ること、睡眠。特にニコニコ動画に登場する「歌い手さん」が大好きで、ニコニコ動画主催のイベントなどに、一般人に紛れて参加する機会が多い。
好きな食べ物は、リンゴ、カレーなど。また、辛いものが大好きで外出時には自分専用のコショウ(ミル付き)と、七味唐辛子を持ち歩いている。
長所は優しいところ、短所はマイペースすぎるところ。
好きな男性のタイプは、格好つけない人。
一人称は「仲谷」。
2011年時点では千葉県在住のため、一時期公式プロフィールなどの出身地は千葉県で統一されていた。しかし、初期並びに2011年現在のプロフィールでは、7歳まで居住していた「岩手県出身」と表記されている(出生地は岩手県盛岡市)。2011年時点では、姉妹ユニットを含めて正規メンバーでは唯一の東北地方出身メンバーである。
兄が2人いる(ブログなどで兄のことを「お兄やん」と書いている)。
公式プロフィールなどでは身長159cmとされているが、実際は160cm以上あり、握手会でファンから「意外に身長高いね」とよく言われ、本人も背が高いことを気にしていて、普段はハイヒールはあまり履かない[2]。
声は評価が高く、本人も将来の目標として声優になることを掲げており、声優の水樹奈々に憧れている。アニメ『テイルズ オブ ジ アビス』でアフレコに初挑戦した。
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』のオーディオブック制作の際、当初は登場人物の女子高生のセリフのみの予定だったが、仲谷の表現力を気に入った著者の岩崎夏海がピーター・ドラッカーの『マネジメント』からの引用部分を含めた全編を仲谷に担当させることを出版社に進言し、全編を仲谷一人で朗読することとなった(オーディオブックの特典で、岩崎と仲谷の対談の中で語られている)。このオーディオブックはオトバンク主催の「オーディオブックアワード2010」において、「オーディオブック・オブ・ザ・イヤー」を受賞、また仲谷も2011年4月25日からNHK総合で放送予定[3]のテレビアニメ版に北条文乃役で出演する。
AKB48関連
キャッチフレーズは、「私の半分は優しさでできています」。
チャームポイントは、「二の腕、モチモチ」。
『チームB 2nd Stage「会いたかった」』公演までは「AKB48唯一の眼鏡っ娘」で始まる自己紹介だったが、『チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」』公演からは、眼鏡を外してコンタクトレンズで出演するようになったため、自己紹介も「ニューフェイスじゃありません、メガネを取っても必死系、なかやんこと仲谷明香です」に変更した。その後「私の半分は優しさでできています」に変更されている。また、IBC岩手放送での自身のラジオ番組の番組宣伝で同局のテレビ番組に出演した際は「AKB48唯一の東北出身」から自己紹介を始めた。
劇場公演では休演者のアンダー(代役)も積極的にこなし、所属するチーム以外のアンダー出演もしているため、正規メンバーでは数少ない全チームの公演に出演した経験を持つメンバーである。
前田敦子は、同じ中学校のクラスメイトだった。2010年4月14日のチームA公演のMCで前田が「仲谷明香ちゃんとはモルモット仲間で、よく一緒に遊ばせてたの」と発言している。
AKB48のオーディションを受ける契機になったのは、同級生だった前田が先に活動していたのを知ったからとされるが、実際の動機は以前から憧れていたプロの声優になるための足がかりにしようと思ったから。
尊敬するメンバーは、高橋みなみ。義務教育上では同学年だったが、高橋のことは未だに「たかみなさん」としか呼べない。
仲の良いメンバーは、米沢瑠美、片山陽加、中塚智実、多田愛佳、田名部生来、渡辺麻友、柏木由紀、岩佐美咲、中田ちさと、浦野一美(SDN48)など。
メンバーからの呼称はほとんどが「なかやん」だが、米沢からは「にゃんにゃん」、中田や中塚からは「なかや」、ごく稀に渡辺と田名部からは「なかやなん」と呼ばれている[4]。
多田、田名部、渡辺と「ヲタ4」を結成している(アニメが好きな4人組)。
柏木、片山と「チーム控えめ」を結成している。
柏木、片山、田名部と「キューテェーちーむ」を結成している。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

AKB48 前田 敦子 プロフ [AKB48 メンバー]


2005年
10月30日、『AKB48 オープニングメンバーオーディション』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。オーディションでは自身の憧れの人でもある柴咲コウの「Glitter」を披露する[1]。
12月8日、オープニングメンバー候補生のうち20名として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立つ(旧チームAに所属)。
2007年
4月、映画『あしたの私のつくり方』で女優デビュー。なお、この映画では役作りのために、肩まで伸ばしていた髪を短くした。
7月、同じAKB48メンバーである大島優子、小野恵令奈とともに太田プロダクションに移籍。
10月、フジテレビ系列『スワンの馬鹿! 〜こづかい3万円の恋〜』(関西テレビ制作)でテレビドラマ初出演。
12月、AKB48として『第58回NHK紅白歌合戦』に初出場。
第81回キネマ旬報新人女優賞候補にノミネートされる。
2008年
1月、日本テレビ系列ドラマ『栞と紙魚子の怪奇事件簿』でドラマ主演(南沢奈央とのダブル主演)。
7月 - 9月、フジテレビ系列ドラマ『太陽と海の教室』に出演。
2009年
3月、アメーバブログにて「前田敦子オフィシャルブログ」をスタート。
6月から7月にかけて実施された『AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』では1位で、メディア選抜入りを果たす。トップ当選を受けて、「自分の人生をAKB48に捧げて行く」と語った。
2010年
1月 - 3月、テレビ東京系列ドラマ『マジすか学園』に同名役で初単独主演。
3月7日 - NHK大河ドラマ『龍馬伝』に坂本春猪役で出演。
5月から6月にかけて実施された『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』では2位で、メディア選抜入りを果たす。
10月 - 12月、日本テレビ系ドラマ『Q10』にロボットQ10役で出演。
9月21日に開催された『AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会』では15位で、初めてメディア選抜から漏れる結果となる。
2011年
1月、2011年の「警視庁110番」イメージキャラクターに就任[2]。
1月26日、第22回日本ジュエリーベストドレッサー賞10代部門を受賞した[3]。
4月23日にナゴヤドームで開催された握手会イベントにおいて、6月22日にキングレコードから「Flower」で、ソロデビューすることが発表された[4]。
6月4日公開予定の『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の川島みなみ役で映画初主演となる。
人物

愛称は、主に「あっちゃん」である。
よく「昔っぽい顔」と言われるという[5]。
1cm×1cmの紙で折り鶴を作れる。本人曰く、「『桜の花びらたち』の紙吹雪の紙を、公演終了後、折ってみたらできたから」とのこと[6]。
憧れの芸能人は柴咲コウ。また、東方神起と福山雅治のファンでもある。福山には「センターが当たり前田の前田敦子」「微笑みの貴公子」[7]とキャッチフレーズを付けられた[8]。
ペットとして、ミニチュア・シュナウザーの「ソルト」、トイプードル&マルチーズのミックスの「ハニー」、トイプードルの「ココア」、チワワの「アロマ」の四匹の犬と、デグーの「フランク」とモモンガの「バブル」とモルモットの「チェコ」[9]を飼育している[10]。
左利き[11]。
「時間があります… イコール 食べ物を食べます(∵)♪♪ な私」[12]と自ら言うほど食べることが大好きで、外見からは想像できないほどの[独自研究?]大食いであり、朝食を2回食べることや[12]、ロケ弁を4個平らげることもあるという[13]。
刺身[14]や寿司などの魚介類は大好物で、特に貝類を好む。寿司は「ご飯を食べるのが面倒くさいから」[15]という理由でネタのみ食べる。
自身のブログにはその日の朝食の写真を載せていることがあるが、一般的な朝食と比較すると豪華で、かつバランスの取れた朝食[独自研究?]の写真が載せられている。朝食は大好きで、農林水産省「めざましごはん」のCMにも起用されているが、「朝ごはんをしっかり食べる人」というイメージがあることも起用の理由であるという[16]。このCMに出演できたことを誇りに思っていると語っている[17]。
母親と揃いのリングをつけるなど[18]、「マザコン」を自認している[19]。先述の朝食はすべて母親によるもので、時には前田が起床する数時間前から仕込むこともあるとのこと[18]。
AKB48関連
AKB48の中心メンバーの一人であり[5] 、2010年11月時点ではすべてのシングル選抜メンバーに選出されている。高橋みなみとともにメディアや雑誌をはじめ多方面からエースメンバーとして扱われており、「チャンスの順番」を除くほぼ全てのPVや音楽番組でセンターの位置についているが、劇場公演で初めてソロ曲「渚のチェリー」を歌うことになった際には「一人だけ目立つのはイヤ」と号泣したという[20]。
デビュー前、秋元康に今後何をやりたいかと尋ねられた際に「演技がしたい」と答えた。現在の事務所に所属した経緯も関係している[5]。
仲の良いAKB48メンバーは、板野友美や小嶋陽菜、篠田麻里子、高橋みなみ、峯岸みなみ、宮澤佐江など。AKB48メンバー以外では、大政絢、北乃きい、南沢奈央[21]などと仲が良い。
仲谷明香は中学校の同級生。仲川遥香は高校の同級生で、仲川とは一緒に登校していた[22]。
毎回コンサート前日には、願掛けとして立ち位置や歌詞などを書いた紙をすべて枕に敷いて寝ている[23]。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

AKB48 仲谷 明香 プロフ [AKB48 メンバー]


2006年12月3日、『第三期AKB48追加メンバーオーディション』に合格(応募総数12,828名で最終合格者20名に選ばれる)。
2007年4月8日から2010年4月16日までAKB48劇場で旧チームBの一員として公演を行う。
2009年8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演において、同年10月よりチームAに異動することが発表され、2010年7月27日にチームAに異動した。
2009年12月7日にそれまでの所属事務所・AKSからMousaに中田ちさととともに移籍した。
人物

かなり温厚な性格らしく、頭にきたことはあるが、今までに怒ったことは一度もないとされる。『AKBINGO!』[1]では「怒ったことが一度もない、年中笑顔の菩薩系アイドル」と紹介された。
趣味は、アニメを見ること、ニコニコ動画を見ること、睡眠。特にニコニコ動画に登場する「歌い手さん」が大好きで、ニコニコ動画主催のイベントなどに、一般人に紛れて参加する機会が多い。
好きな食べ物は、リンゴ、カレーなど。また、辛いものが大好きで外出時には自分専用のコショウ(ミル付き)と、七味唐辛子を持ち歩いている。
長所は優しいところ、短所はマイペースすぎるところ。
好きな男性のタイプは、格好つけない人。
一人称は「仲谷」。
2011年時点では千葉県在住のため、一時期公式プロフィールなどの出身地は千葉県で統一されていた。しかし、初期並びに2011年現在のプロフィールでは、7歳まで居住していた「岩手県出身」と表記されている(出生地は岩手県盛岡市)。2011年時点では、姉妹ユニットを含めて正規メンバーでは唯一の東北地方出身メンバーである。
兄が2人いる(ブログなどで兄のことを「お兄やん」と書いている)。
公式プロフィールなどでは身長159cmとされているが、実際は160cm以上あり、握手会でファンから「意外に身長高いね」とよく言われ、本人も背が高いことを気にしていて、普段はハイヒールはあまり履かない[2]。
声は評価が高く、本人も将来の目標として声優になることを掲げており、声優の水樹奈々に憧れている。アニメ『テイルズ オブ ジ アビス』でアフレコに初挑戦した。
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』のオーディオブック制作の際、当初は登場人物の女子高生のセリフのみの予定だったが、仲谷の表現力を気に入った著者の岩崎夏海がピーター・ドラッカーの『マネジメント』からの引用部分を含めた全編を仲谷に担当させることを出版社に進言し、全編を仲谷一人で朗読することとなった(オーディオブックの特典で、岩崎と仲谷の対談の中で語られている)。このオーディオブックはオトバンク主催の「オーディオブックアワード2010」において、「オーディオブック・オブ・ザ・イヤー」を受賞、また仲谷も2011年4月25日からNHK総合で放送予定[3]のテレビアニメ版に北条文乃役で出演する。
AKB48関連
キャッチフレーズは、「私の半分は優しさでできています」。
チャームポイントは、「二の腕、モチモチ」。
『チームB 2nd Stage「会いたかった」』公演までは「AKB48唯一の眼鏡っ娘」で始まる自己紹介だったが、『チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」』公演からは、眼鏡を外してコンタクトレンズで出演するようになったため、自己紹介も「ニューフェイスじゃありません、メガネを取っても必死系、なかやんこと仲谷明香です」に変更した。その後「私の半分は優しさでできています」に変更されている。また、IBC岩手放送での自身のラジオ番組の番組宣伝で同局のテレビ番組に出演した際は「AKB48唯一の東北出身」から自己紹介を始めた。
劇場公演では休演者のアンダー(代役)も積極的にこなし、所属するチーム以外のアンダー出演もしているため、正規メンバーでは数少ない全チームの公演に出演した経験を持つメンバーである。
前田敦子は、同じ中学校のクラスメイトだった。2010年4月14日のチームA公演のMCで前田が「仲谷明香ちゃんとはモルモット仲間で、よく一緒に遊ばせてたの」と発言している。
AKB48のオーディションを受ける契機になったのは、同級生だった前田が先に活動していたのを知ったからとされるが、実際の動機は以前から憧れていたプロの声優になるための足がかりにしようと思ったから。
尊敬するメンバーは、高橋みなみ。義務教育上では同学年だったが、高橋のことは未だに「たかみなさん」としか呼べない。
仲の良いメンバーは、米沢瑠美、片山陽加、中塚智実、多田愛佳、田名部生来、渡辺麻友、柏木由紀、岩佐美咲、中田ちさと、浦野一美(SDN48)など。
メンバーからの呼称はほとんどが「なかやん」だが、米沢からは「にゃんにゃん」、中田や中塚からは「なかや」、ごく稀に渡辺と田名部からは「なかやなん」と呼ばれている[4]。
多田、田名部、渡辺と「ヲタ4」を結成している(アニメが好きな4人組)。
柏木、片山と「チーム控えめ」を結成している。
柏木、片山、田名部と「キューテェーちーむ」を結成している。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

AKB48 中田ちさと プロフ [AKB48 メンバー]



過去にウェブカムプロモーションに所属し、本名の中田千智としてアイドルユニット「ゆめ☆たまご」の一員として活動していた。
2006年に第二期追加メンバーオーディションと第三期追加メンバーオーディションに応募したが、いずれも落選している[1]。
2007年5月27日、『第一回研究生(4期生)オーディション』に合格。AKSに移籍。
2008年10月19日付で研究生よりチームAメンバーに昇格した。
2009年12月、Mousaに移籍。
人物 [編集]

キャッチフレーズは「はい、ふんわりわたあめのような甘い女の子になりたい、ちぃちゃんこと中田ちさとです」。
姉は「星のオトメ歌劇団」の中田麻日。
プロレスリング・ノア所属プロレスラー・丸藤正道のファン。
中学3年間はバレーボール部に所属していた。マラソン大会は常に上位。
食べ物に関しては好き嫌いが多く、嫌いな食べ物のほとんどが食わず嫌い。
ペットとしてハムスターを2匹飼っている[2]。
AKB48関連 [編集]
AKB48全メンバーの中で芸名で活動しているのは、中田を含め仲川遥香・渡辺麻友・菊地あやかの4人。
AKB48のメンバーでは数少ない内向的な性格で、後輩メンバーからは優しい先輩と慕われている。その中でも、指原莉乃とは仕事のことを相談しあうほどの仲。
AKB48のメンバーで一番好きなのは片山陽加、一番の相談相手に内田眞由美の名前を挙げている。
佐藤すみれとは、サンリオのマイメロディが好きな者同士ということから「ちいめろ」「すーめろ」と呼びあっている。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

AKB48 前田 亜美 プロフ [AKB48 メンバー]


来歴 [編集]『AKB48 第四回研究生(7期生)オーディション』に合格。
2009年8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサーjavascript:openPressblog('article__body','myform');ト AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演にて、同年10月よりチームAメンバーに昇格することが発表された(実際に正式昇格したのは2010年7月27日)。なお、新チーム公演開始時期の関係上、岩佐美咲とともに7期生最後の昇格者となった。
2010年9月21日に開催された『AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会』では5位で、自身初のメディア選抜入りを果たした。
所属事務所遍歴 [編集]ブレンデン→AKS→フロスツゥー

人物 [編集]3人姉妹の次女。左右対称の字で「偏る事なく、全てに優しく思いやりのある子になるように」という思いを込め、母と姉の名前から取り「亜美」と名付けられた[2]。
黒く太い眉毛がチャームポイント。マスカラで茶色くしようとしても、茶色に出来なかったほど濃く[3]剃っても半日で生えてくる。小学生の時、眉毛がもとでいじめに遭ったこともある[4]が、「クラスの皆が細く剃っていても、私はずっと剃らないままでした」[5]と言うほど、その眉毛に誇りを持っており、自身のブログにも度々眉毛の話題が登場する。よくファンから「あ、まゆげの子ーー。」と呼ばれることに対しても、「名前が覚えられなくたって まゆげで 覚えてもらえるって いいことだよね」と語っている[6]。濃い眉毛にちなんで「まゆげボ〜ン」という持ちギャグがある。
まゆげボ〜ン[7]。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

AKB48 仲川 遥香 プロフ [AKB48 メンバー]


2006年
12月3日、『第三期AKB48追加メンバーオーディション』に合格。
2008年
10月、同じ事務所所属の多田愛佳・平嶋夏海・渡辺麻友と「渡り廊下走り隊」としての活動も開始。
2009年
1月28日、「渡り廊下走り隊」のシングル「初恋ダッシュ/青い未来」でメジャーデビュー[1]。
8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演において、同年10月よりチームAに異動することが発表され、2010年7月27日にチームAに異動した。
2010年
5月から6月にかけて実施された『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』では20位で、シングル選抜入りを果たした。AKB48に加入4年目にして初の選抜入りで、この選挙で「僕のYELL」に参加したメンバー(シアターガールズ)で選抜に入ったのは仲川ただ一人である。また、この選挙で初めて選抜に選ばれたのも仲川だけである。
9月21日に開催された『AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会』では4位で、メディア選抜入りを果たした。
人物 [編集]

5人姉弟の次女[2]。
幼少時、親が目を離した隙に、本物の包丁と食材でままごと遊びをしていたため、その後自宅の冷蔵庫には鍵がかけられていたという[3]。
スポーツが得意。小学校3年生から6年生まで野球をやっていた。ポジションはサード[4]。中学校ではバレーボール部、陸上部、ソフトボール部を掛け持ちしていた[5]。
人懐っこく、誰とでもすぐに仲良くなる。菓子類をコミュニケーションツールとして活用することも多い。
アイドルグループ℃-ute(特に、萩原舞)のファンであり、ブログでは度々話題に出る。
木の実ナナとは音楽劇『ACT泉鏡花』で共演して以来親交を深めている[6]。
AKB48関連 [編集]
本人曰く「お父さんのノリで」オーディションに応募。「歌と踊りが一番下手だったから」という逆説的な理由で合格したという[3]。
元々歌にはあまり興味がなく、初めて買ったCDはオーディションの課題曲だった「桜の花びらたち」[3]。
主な愛称は「はるごん」や「はるか」。仲谷明香からは「ごん」と呼ばれている。
ルックスや性格から実年齢より子供っぽく思われることが多く、 増田有華からは「同い年なんですけど(中略)全く色気がない」「赤い口紅とか塗ったら、子供が(中略)憧れでちょっと使っちゃいましたみたいになっちゃう」[7]、倉持明日香からは「中学校1年生ですよ」[8]と言われている。渡り廊下走り隊では「最年長の末っ子」と呼ばれている。
前田敦子とは元々同級生であり、一緒に学校に登校していた[9]。
旧チームB時代より「渡り廊下走り隊」のメンバーでもある菊地あやかと仲が良い。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

AKB48 高橋みなみ プロフ [AKB48 メンバー]



2005年
8月、「ホリプロタレントスカウトキャラバンメモリアルオーディション2005」に応募(応募総数52,547人)し、決選大会出場者15名に残る(グランプリは緑友利恵)。なお、この大会の審査委員長は、後にAKB48プロデューサーとなる秋元康だったが、彼は高橋を落選させたことを覚えていなかった[1]。これを含め、オーディションはAKB48に入るまでに「7本ぐらい落ちてる」[2]。
10月30日、並行して応募していた『AKB48 オープニングメンバーオーディション』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。劇場支配人の戸賀崎智信によれば、書類審査通過理由は「身長と誕生日が48だったから」[3]。11月3日から始まったダンスのレッスンでは、劣等生だったため、指導者の夏まゆみによく居残り練習をさせられていた[3]。
12月7日、公開リハーサルとメディア向けお披露目を終え、翌8日オープニングメンバー候補生のうち20名として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立つ。
2007年
7月3日、 小嶋陽菜、峯岸みなみと共に、プロダクション尾木に移籍。
12月、ドラマ『斉藤さん』に出演するため髪を金髪にしていたが、そのために同月15、16日に行われた「桜の花びらたち2008」のPV撮影の際、本人曰く「犬の臭いがする」黒髪のカツラをかぶらされ[4]、またAKB48が、『第58回NHK紅白歌合戦』に「アキバ枠」で初出場した際、金髪では出場できないという理由で髪をスプレーで固められ、「一人だけ髪の毛が模型みたいな感じ」で出演した[5]。
2008年
9月3日、宮崎美穂の代理で、3期までに加入したメンバーとして初めて研究生公演に出演。
10月、小嶋陽菜、峯岸みなみとユニット「ノースリーブス」を結成し、テレビ東京系列のドラマ『メン☆ドル 〜イケメンアイドル〜』に主演。同年11月26日にシングル「Relax!」をリリース。
12月23日、AKB48のメンバーで初めて「劇場公演出演回数500回」を達成。
2009年
4月より、『おもいッきりDON!』の金曜日枠で、半田健人と「半田健人のDODONPA昭和名曲探訪」にレギュラー出演。
6月から7月にかけて実施された『AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』で5位となり、メディア選抜入りを果たす。
8月23日、『AKB48全国ツアー (2009年)#AKB104選抜メンバー組閣祭り|AKB104選抜メンバー組閣祭り』第3公演で、新チームAキャプテン就任を発表。
2009年10月から2010年3月26日に放送された『おもいッきりPON!』で、浜内千波・ザブングルとともに「いますぐマネシピ 美味しいです」に「アシスタント」としてレギュラー出演。4回目出演からは、「アシスタント」から正式な「レギュラー」に昇格(放送内にて発表)。
2010年
5月から6月にかけ実施された『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』で6位となり、メディア選抜入りを果たす。
7月27日からの『AKB48 チームA 6th Stage「目撃者」』公演にてソロユニット「愛しさのアクセル」を担当。旧チームAメンバーでは初、AKB48全体でも大島優子、秋元才加、柏木由紀に続く4人目のソロユニット担当となる。
7月29日、AKB48劇場でのチームA公演の後、体調不良を訴え入院、2日後の31日に退院した[6]。
2011年
4月4日、NMB48劇場でのNMB48公演に、自身がMCをつとめる番組『ミュージャック』のロケを兼ねサプライズ出演[7]。
人物

髪飾りのリボンがトレードマークになっている。私服で着用することも多く、中学1年生の時からコレクションしていて[8]、300個近く所持している[9]。髪そのものには無頓着で、知り合いの美容師相手でないと「緊張して喋れなくなる」という理由でわざわざ横浜市内の行きつけの美容室に通っているが、長い時は1年半ほど髪を伸ばしっぱなしにしていたほど[10]。また、本人曰く「他の髪形が似合わないのでこれに行きつく」[11]という理由で、2011年の現時点で5年近く髪型を変えていない[10]。
黒、白、ピンク色が好き[12]で、本人曰く「世界で一番ピンクが似合っている」と思っており、ピンク色の商品しか置いていない行き付けのお気に入りの店がある[13]。
小学校時代は9歳から6年生まで、一人称は「俺(オレ)」だった[14]。
「ソロデビューして一人の歌手になる」ことが夢[2]。低い声の曲は得意だが、高い声が苦手なため、YUIのように「個性はあるけど綺麗な声」に憧れている[10]。好きなアーティストは、中森明菜、w-inds.、flumpool、Aqua Timezで、中森は憧れの歌手でもある[12]。
「大島優子推し」と公言している弟がいる[15][16]。
好物はカツカレー、カツ丼[17]など丼物、ジャンクフード[10]、餃子[18]。カツ丼は験担ぎとしても食べる。嫌いな食べ物は、寿司、ブロッコリー、トマト[12]、梅干しや菓子類を含め梅味のもの[19]などで、トマトは本人曰く「人生で一番嫌い」[20]。
「痩せようと思えばすぐ痩せられる」体質だが、痩せると頬がこけ、本人曰く「新庄ライン」が出てしまう[10]。
秋元康から「全ての知識を漫画から得てる」「漫画が教科書」と評され、自分でも「一杯手(を)出し過ぎてどれ(を)読み切ってないかわかんなくなっちゃう」ほど[10]の漫画好き。愛読漫画は少年漫画系全般[12]で、特に『ONE PIECE』は、『SMAP×SMAP』の「ONE PIECE王選手権」に出場したほか、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』[21]の深夜コーナーでは自らの希望で理想の男性のタイプでもある[10]モンキー・D・ルフィのコスプレをしたほど。またAKB48オーディション応募時の「趣味」の欄には、「漫画(デスノート)」と記載していた[22]。漫画と並んで、自宅にいることが趣味の一つで、休日でもほとんど出歩かないインドア派。オフの日は基本的に寝ている[12]。
特技は絵の模写[12]。座右の銘は「何物にもとらわれず縛られずただあるがままに己を生きる」[12]。
SPEEDの今井絵理子に似ていると言われることがある[23]。また大島優子は高橋に似ていると言われることがある[24]。
フラフープが得意。秋祭りに時にも、内田眞由美や横山由依が披露している所に乱入する。しかも、腰ではなく、高橋自慢のアイアンネックを軸にしてのフラフープが得意。
AKB48関連
AKB48の主力メンバーの一人。チームAキャプテンとしての責任のみならず、AKB48のイベント、記者会見等においてグループ全体を代表して挨拶やコメントをする場合は大抵において高橋がその役目を負うということもあり、メディアや雑誌をはじめ、多方面からAKB48全体のキャプテンとして扱われている[18]。イベントにおける運営担当者との打ち合わせや、時にはイベント用のロゴデザインなどもメンバーを代表して行う[25]。秋元康も「高橋はAKB48の顔」[26]「AKB48とは高橋みなみの事である」[18]と公言しており、本人との対談でも「いい子だから」AKB48メンバー内で唯一「説教した事(が)ない」、「たかみなを嫌いって言う人はいないからね、スタッフでも」、「48人姉妹の長女」と発言するほど全幅の信頼を置いており[10]、高橋自身も、AKB48を「ファミリー」と考えている。しかし、そのキャラクターはAKB48に入った後の環境により変革したものであり、元々「AKB入る前とかは全然ぐうたら」で「どっちかというと不真面目」だったため[25]、グループ発足当初は、秋元や本人が認めるように、「リーダーシップを取るようなタイプではなかった」[10]が、年上のメンバーが卒業して公演前の円陣での掛け声を発声する者が誰もがいなくなり、「『どうするか〜』ってなった時に、『じゃたかみなやってみなよ』って言われた」ことから、「『誰も引っ張る人がいないんならやってみたいな』っていう気持ちになって」、それ以降リーダーシップを取るようになったという[18]。
AKB48のオーディションを知ったきっかけは、先述のホリプロタレントスカウトキャラバンの第2次審査の際に外に待ち構えていた、審査に同行していた高橋の母親が排除しようとしたほど「めちゃめちゃ怪しかった」スカウトマンが持っていた、秋元康の顔写真が載ったモノクロの募集チラシ。オーディションを受けた当時は茶髪のヤンキー風で、本人曰く「やさぐれていた」。最終審査の質疑応答で、秋葉原を「あきばはら」とずっと発言していたのを審査員に正されたため、審査に落ちたものと思っていたが合格者24名に入る[10]。
一般的な愛称は元チームAの大島麻衣が名付けた[27]「たかみな」。篠田麻里子はほぼ一貫して「みなみ」と呼んでいる。
非常に涙もろく、イベントやテレビ番組などでしばしば涙を流す[28]だけでなく、日常生活でも、自身の19歳の誕生日に秋元康からメールをもらい、それを一人で読みながら駅で泣いていた[10]。一方、意識して笑うことは苦手[29]。
「生きてる感じがする」という理由で、大会場でのコンサートより劇場公演の方が好き[10]。
メンバー内で最も新曲の振り付けを覚えるのが早く、半日もあればマスターする[30]。
AKB48内では、自他共に認める「スベりキャラ」[12]。『AKB0じ59ふん!』では「みなみ高橋のすべらない話」と題し、高橋が面白いと思っている話を披露したが周囲にまったくウケず、「すべる話」のレッテルを貼られた。さらに同番組の体力測定企画で競馬の出走に見立てた際には「リトルスベリオー」という出走名が付与され、『AKBINGO!』での相撲対決では「朝滑龍(あさすべりゅう)」という四股名を付けられた。『週刊AKB』のDVD(Vol.7、Vol.8-Vol.9)には、特典映像として「みなみ高橋のすべる話」が収録された。[31] 宮澤佐江によると「面白い話があるんですよ」、「めちゃくちゃ面白いです」など、話の前に自らハードルを上げたり(この点は佐田正樹にも指摘された)、話の途中で自分が笑ったりして聞き取りにくくなり、結果スベる傾向にある[32]。また、自虐ネタを出す場合もある。
峯岸が通学していた中学校の卒業式に立ち会ったり[33]、秋元のチームKキャプテン辞任発言が報じられた『オールナイトニッポン』の生放送中には、ニッポン放送に駆け付けた。
以前から、実年齢より年上に見られることが悩み[34]。また言動が「オヤジ」傾向にあり、これが度々他のAKB48メンバーのブログなどでも取り上げられている[35]。また、篠田麻里子はAKB48メンバーと一緒に入浴していないこと、朝は誰よりも早く起き、しかも化粧して待機していることなどを挙げ、「男疑惑がある」と発言した[36]。それ以降も度々バラエティ番組や公演のMCでネタにされている。なおメンバーとの入浴については、「裸(ら)を何で晒し合わねばならんのかと」思っており、「迷惑」「本当に入りたくない」と語っている[34]。
自身が19歳になってから、「「会いたかった」を歌う時のテンションがきつい」と悩んでおり[29]、また20歳を迎えてからは、AKB48全体の「高齢化」を気にしている[37]。
3歳の時に自宅で父親に「大きくなったら何になりたいですか?」と問われた際、「食べ物に、キャベツに」と答えていた様子を父親がホームビデオに撮影していたが、それから16年後、カゴメ『野菜一日これ一本』のCMタイアップで「野菜シスターズ」が結成され、参加した25人のメンバーが異なる野菜の着ぐるみを着ることとなった際、奇しくも高橋はキャベツ役となり、偶然ながら3歳当時の夢が実現したことになる[2]。
2011年3月現在、研究生を含めたAKB48全メンバー内で最も身長が低い。以前は、2010年3月に研究生となった市川美織の公称が148cmで、高橋より0.5cm低かったが、2011年3月24日に『マジすか学園2』の撮影現場で比較したところ、市川が「1.5(cm)ぐらい[38]」身長を上回った
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能
前の10件 | - AKB48 メンバー ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。