SSブログ

AKB48 大家 志津香 プロフ [AKB48 メンバー]


2007年
5月、AKB48第4期研究生オーディションに合格。
2009年
8月23日、『AKB104選抜メンバー組閣祭り』にて、新チームAに昇格することが発表。
2010年
5月4日、AKSからワタナベエンターティメントに移籍。
7月27日、チームA6th公演開始と同時に正式に正規メンバーに昇格。
公式ブログ「しーちゃんでんせつ」
4月21日 21:41 交渉の話しましょ
やほい うち杉花粉より ヒノ…
4月19日 23:02 錯覚の話しましょ
いぇ-い朝からなるほどハイスクー…
4月18日 00:15 美意識の話しましょ
大阪から帰宅 あ- なんかば…
4月16日 21:16 決定!の話しましょ
朝からAKBINGO収録やったぁ久々。…
4月15日 00:47 教えて!の話しましょ
いえい! 今日ゎ全じゃん収録終…
人物

AKB48として
キャッチフレーズは、「できませんはいいません。福岡県から来ました、研究生の大家志津香です」。
ニックネームは、公式では「しいちゃん」だが、「しーちゃん」「しちゃん」など微妙にバリエーションがある。
研究生時代
AKBに入る以前からお笑い指向だったらしく、AKBのオーディションで「合格したら劇場で何をしたいですか?」という質問に、「漫才」と答えた。

研究生時代
オーディション時は高校生だったが、合格後に上京。最初の約1ヶ月間は、指原莉乃(大分県出身)、北原里英(愛知県出身)、元研究生の冨田麻友(香川県出身)、現SKE48の中西優香(愛知県出身)と共に一緒に生活した。
現在は、調理師専門学生でもある。[2]調理師免許は、料理番組に出たいから取るらしい。[3]
2007年5月にAKB48研究生となってから、2010年7月に正規メンバーに昇格するまで、実に3年2ヶ月(劇場デビューからは2年4ヶ月)という最長研究生在籍記録を持ち、長い下積み時代を送ってきたという誰もが認めるAKB1の苦労人。ちなみに、4期生の同期で一番最初に昇格した佐伯美香は、2008年2月に昇格している。
AKB48には、生まれ持ったアイドル性で、あっという間にスターダムにのし上がった子もいるが、その対極に居るとも言えるのが大家。無ければ作るしかない。同期や後輩までもが次々と日の当たる場所に飛び出して行くのを横目で見ながら、それでも今、自分に出来る事を最大限の努力で行ってきた。ダンスや歌の練習で流した汗は誰よりも多い。
大家は研究生として、他のメンバーの振り付けまで覚え、主に正規メンバーの代役(アンダー)として長い間活動してきた。しかし、同期や後輩がどんどん昇格して行き、大家は勝手に「大家はそろそろ潮時」みたいな空気を感じ、自暴自棄になってた時期もあった。それが研究生時代の一番辛かった事と、後に語っている。[3]
3年間も研究生で頑張れた原動力は、「まず4期オーディションで落ちた子の分も頑張らないとってのが1つ。あと応援してくれる人が1人でもいるうちは頑張るって決めたからってのが1つ。まぁ1番はやりたいことがあるから。あとは負けず嫌いってのもあるかな」。[3]
一番励みになった言葉は、「みんなが出来なくて、しーちゃんには出来ることがあると思う」[5]
また歌やダンスだけではなく、笑いのとれるMCや一発芸を猛勉強し、『AKBINGO!』では、一点倒立やマトリックス牛乳のみなどの身体を張った一発芸を披露し、笑いを取った。『なるほどハイスクール』ではスカイダイビングにも挑戦した。
2009年1月、研究生に対し初めてセレクション審査が行われる。対象はその時いた4~7期生だが、審査に落ち卒業となったのは、全員4期生か5期生だった。つまり、研究生として長いこと頑張ってはきたが、なかなか昇格できないとか、ファン人気がついてこないという、言わば芽が出なかった古い世代。メンバーをAKBから強制的に卒業させるというセレクション審査が行われる様になったのは、夏まゆみの「ちゃんと宣告することも優しさ」という言葉から、AKB運営側が行う様になったもの。
実は運営側は、大家をこの時に行われた審査で落とす予定だったが、その時にたまたま小嶋陽菜と篠田麻里子が劇場にいて、事情を聞いて「大家は頑張っているから、絶対に落とさないでください」と言ってきた。もちろんその言葉のみで合否を決めた訳ではないが、誰を残すべきかという事を考え直すキッカケにはなり、最終的に大家の様な子を「落としちゃしけないんだな」と思い、クビを免れる事になった。大家はその二人の一言により、奇跡的に救われていた。

昇格発表時
(2009年8月23日)
2009年8月23日、『AKB104選抜メンバー組閣祭り』最終公演にて、チームのメンバーシャッフルが行われ、大家も研究生からチームAへと昇格する事が発表された。戸賀崎が名前を読み上げると、大家も腕を突き上げて喜びを表し、高城亜樹と抱き合いながら嬉し涙を流した。大家の苦労を知るファンからは「おぉ」というどよめきが起こった。
だが当時の大家はメディア出演が少なく、劇場公演を見ていないファンの中には、知らない人も多かった。ちなみに大家は4期生。同期が昇格し、後輩の5期、6期の一部メンバーにも抜かされ、7期生と同じタイミングでの昇格となった。そのため今のファンからは、7期の一人ぐらいに思われているらしい。4期や5期のメンバーとは普通にタメ口で接しているが、ブログに「なんで呼び捨てなの?」書かれた事もあるとか。[7]
大家の正規メンバーへの昇格が決まると、指原の母親は自分の娘の事のように喜んでくれたとか。
ファンに一言。「いつ消えるかわからないような私を信じて、今までついてきてくれて、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします」[1]
大家にとってAKB48とは、「賭け」らしい。[3]その意味は「失敗したら大切なものを失う覚悟で、思い切ってすること」
「Cトーク」という話術を身に付け、2010年5月、ラジオ『明日までもうちょっと。』に初登場した時には高評価を受けた。
7月からは、ラジオ『AKB48の全力で聴かなきゃダメじゃん!!』の第3期パーソナリティに選ばれた。現在は、AKB48のバラエティ担当として、体を張ったり、身を削ったトークで活躍している。
正規メンバー昇格

正規メンバー初公演
(2010年7月27日)
2010年7月27日、チームAへの昇格が発表されてからおよそ1年。延期に次ぐ延期で、延び延びになっていた6th「目撃者」公演にて、AKB48チームAの正規メンバーとしてデビュー。大家は自身のブログで「ほんとにteamAなんだと実感しました。自分の衣装がありました。自分のポジションがありました。自分のユニットがありました。幸せでした」と感想を綴っている。
http://www23.atpages.jp/akb49/?%E5%A4%A7%E5%AE%B6%E5%BF%97%E6%B4%A5%E9%A6%99
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。